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​サイマル演劇団

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ゴンブローヴィッチ生誕120周年記念公演
サイマル演劇団+コニエレニ

フェルディドゥルケ

原作/ヴィトルト・ゴンブローヴィッチ

翻訳/米川和夫
構成・演出・美術/赤井康弘(サイマル演劇団)

出演

赤松由美(コニエレニ)
 葉月結子
   大美穂(イナホノウミ)
   坂本麻里絵(Nyx)
 瀬乃乙女

2024年7月4日〜7月14日(全13ステージ)

 

4木 20時✴︎1

5金 15時✴︎2/20時

6土 14時/19時✴︎3
7日 14時
8月 20時
9火 休演日
10水 休演日
11木 20時✴︎4

12金 15時✴︎5/20時
13土 14時/19時
14日 14時

アフタートークゲスト

(敬称略)

✴︎1 関口時正(東京外語大学名誉教授、ポーランド文化)

✴︎2 新野守広(ドイツ演劇研究)

✴︎3 星善之(ほしぷろ主宰、演出家・パフォーマー・俳優)

✴︎4 こぐれみわぞう〈音楽家〉

✴︎5 小倉聖子〈VALERIA代表(映画宣伝/ポーランド映画祭主催)

 

会場/サブテレニアン(東京都板橋区氷川町46-4 BF)

料金/一般3500円 障がい者・学生割引2000円

チケット予約/https://stage.corich.jp/stage/314717

​問い合わせ/info@subterranean.jp 080-4205-1050(赤井)

✴︎前売り開始 5月1日

公開稽古

『フェルディドゥルケ』の公開稽古を行います!

『フェルディドゥルケ』の劇世界が立ち上がっていく様子を、

皆様に体験し知っていただきたいと思います。

参加していただいた方は、本番もより一層楽しんでいただけると思います。
出入り自由、予約不要で飛び込み大歓迎です。

【日程】
①6月19日(水)19時〜22時
②6月22日(土)16時〜20時

【参加費】
1000円(参加した際に現金でのお支払い)
又は
ビール

稽古終わりに希望者のみ、関係者とフィードバックあり。

モノクロでの撮影・SNSへの投稿可。

【場所】
両日共にサブテレニアン
〒173-0013 東京都板橋区氷川町46−4
https://maps.app.goo.gl/7LaqvitP9mhJ3jbz5

どうぞお気軽にお立ち寄りください。

《ポーランド公演》
10月19日 ラドム市民劇場(ラドム)/第16回国際ゴンブローヴィッチフェスティバル招聘

照明

麗乃(あをともして)
音響

豊川涼太(街の星座)
衣装

サイマルお針子団
字幕

坂本美香子(コニエレニ)
字幕監修

クリコフ キム・アガタ
舞台監督

大山ドバト【東京】
    田中美紗樹【ポーランド】
宣伝美術

伊東祐輔(おしゃれ紳士)

撮影協力

鳥山直也(コニエレニ)
制作

齊藤さゆり(コニエレニ)

​さたけれいこ(サブテレニアン)

平岡希望
サイマル制作団
ツアーマネージャー

竹岡直紀(劇団俳優難民組合)

協力

平凡社
企画・製作

赤松由美(コニエレニ)
赤井康弘(サイマル演劇団)
助成

芸術文化振興基金
後援

ポーランド広報文化センター
主催

サイマル演劇団

コニエレニ
 サブテレニアン

永遠の青二才、ポーランドの国民的作家ゴンブローヴィッチの代表作「フェルディドゥルケ」を

日本の前衛演出家・赤井康弘が舞台化する。
マニア垂涎の小説を、アジア的身体と共に、いくつかの現代詩を戯曲に組み込み、

現代の観客が見たことのない作品が作り上げられる。
能なのか舞踏なのか、はたまた現代演劇なのか。あなたは21世紀の新しい演劇を目撃する。

 

そうだ、世界はバラバラだ。
 

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赤松由美

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葉月結子

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大美穂

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坂本麻里絵

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瀬乃乙女

【ヴィトルト・ゴンブローヴィッチ】

小説家、劇作家。1904年、ポーランド・マウォシツェ生まれ。チェスワフ・ミウォシュ曰く「ゴンブローヴィッチの作品はポーランド小説の記念碑」。イエジィ・ヤロツキ曰く「今日のポーランド演劇はゴンブローヴィッチに裏打ちされている」。
1933年、評論家に全く理解されなかった短編小説『成長期の手記』(バカカイ)でデビュー。1937年、初の長編小説『フェルディドゥルケ』を発表。評論家の激しい反応に会い、読者を信者と敵に二分した。1938年、ゴンブローヴィッチの初の戯曲『ブルグントの公女イヴォナ』を発表。しかし反響はなかった。
1939年、アルゼンチンへ外遊。ブエノスアイレス到着直後、ポーランドにナチスが侵攻。以後、アルゼンチンで亡命生活を送る。彼の戦前の著作は国内で忘れ去られ、国外では長く評価が得られなかった。アルゼンチンへ出国以来、ポーランドでは1冊も彼の本が出版されていなかった。「ブルグント公女イヴォナ」は一度も上演されていなかった。
1946年にアルゼンチンで書いた戯曲『結婚』が出版される。
1960年代、ゴンブローヴィッチは国際的な人気を得る。当時、パリで小説2作『ポルノグラフィア』と『コスモス』、そして、多くの文学研究者によって彼の最高作と評される『日記』が出版された。
1969年フランス、ヴァンス没。

 

 

【サイマル演劇団及び赤井康弘】
演出家・赤井康弘のほぼ一人劇団。1995年、仙台で旗揚げ。東京公演や東北地方でのツアーを行う。
2000年、東京に拠点を移す。2006年、サブテレニアンを開館。以降、主に古典作品を上演。俳優の身体性を軸に、物語から距離を持ち、そこから離れようとする身体と近づいてしまう精神とのせめぎ合いを、硬質な身体と独特の発話で、主に不条理劇、前衛劇として上演。
代表作に、円環運動を主とした「授業」(E・イヨネスコ)、シュルレアリスムの代表的小説を扱った「ナジャ/狂った女たち」(A・ブルトン)、ダダイズムと表現主義の境目に屹立した「ベビュカン」(C・アインシュタイン)、感染症の蔓延する都市を描いた「Peste≠Peste」、サイマル版ポエトリーシアター「吠える」(A・ギンズバーグ)等。
2011年、利賀演劇人コンクール参加。2017年、韓国・礼唐国際演劇祭に招聘。2022年、ポーランド・国際ゴンブローヴィッチフェスティバルに招聘。「コスモス/KOSMOS」において準グランプリを獲得。
その他、サブテレニアンではプロデューサー及びキュレーターとしても活動。古典だらけの国際演劇祭「板橋ビューネ」や、パフォーマンス・アートを主に扱う「オフトウキョウ」等を企画、製作。海外の演劇祭の参加劇団のキュレーションも行う。

【コニエレニ及び赤松由美のプロフィール】
コニエレニ=赤松由美が代表理事を務め、能楽師・鳥山直也、日本画家・齊藤さゆり、ピアニスト・坂本美香子からなる芸術団体。2022年にポーランド・ラドムで初の海外公演を主催し、2023年には八丈島での「小鼓体験会 小鼓の夕べ」、朗読劇「父と暮せば」、「叫び」のワークショップ「ザ・シャウト八丈」、高知県北川村モネの庭での朗読劇「モネをさがして」等を開催し、好評を博す。2022年、一般社団法人コニエレニ設立。

赤松由美=俳優。東京都八丈島出身。1999年、劇団唐組入団。以降、2018年に退団するまで全公演に出演。唐十郎に師事。ポーランドの映画監督イエジー・スコリモフスキの映画に感銘を受け、コニエレニを設立。2022年、サイマル演劇団+コニエレニ「コスモス」に夫人役で出演。

東京公演劇評

 

平岡希望(劇評家)

 

『しかし、逃げるかわりに、おれは靴のなかで足の指をヒョコヒョコ動かし始めたのだ。』

 


これは、ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ(1904-69)の小説『フェルディドゥルケ』からの一節で(平凡社ライブラリー,p.88。以下、『フェルディドゥルケ』からの引用についてはページ数のみ示す)、「三十という避けようもないルビコンの川を越え」(p.11)た主人公のユージョは、「文学博士、教授、正確に言うと、学校教師、クラクフ出身の文化的知識人」(p.31)のピンコに半ば誘拐される形で、「校庭では、十から二十ぐらいまでの子供に中供が、バターかチーズに中身はきまった弁当のサンドイッチをかじりかじり、ぐるぐる歩き回って」(p.42)いる学校へと幽閉される。そこから、下宿先の女学生に恋をしたり、級友と作男を探しに出かけたりと、ユージョは学校を離れはするが、作中に何度も登場する“おちり(おしり)”という言葉、その引力からは逃れられない。
『ヴィルヘルム・マイスター』や『ジャン・クリストフ』など、教養小説(ビルディングスロマン)の主人公たちが遍歴の果てにある境地へ達するのとは異なり、ユージョはいつまでも“青臭い”ままだ。この小説は様々な“つら”を持っている、「アンチ・ビルディングスロマン」という“つら”もまた、その一面なのだろう。

舞台上は、そんな学校の縮図だ。サブテレニアンの墨色の床にはオレンジのパンチカーペットが敷き詰められ、下手やや後方には学習机と椅子が一組置かれている。下手袖から出てきた大美穂が、「いとしいサマン、ぼくはふたたびきみにむかって書く。初めてぼくは死者にむかって詩を送る。」と虚空に語りかけ始め、「君はこれを明日、空の上で」の一節とともに、机の角へ左手を添える(『フランシス・ジャム詩集』岩波文庫,pp.103-107 『第一の悲歌』)。
詩が進むにつれ、大も上手へと移動する。そして「ぼくは君を思う。ぼくはぼくを思う。ぼくは神を思う。」と額づくのは便器だ。舞台上手、やや前方には真っ白な便器があって、墓標のように屹立した蓋が、奥の壁の方へと影を落としている。
その間にも、下手袖からは俳優四人が登場して、ゆったりと机の前方へ歩み寄る赤松由美を追い抜くように、坂本麻里絵と瀬乃乙女が壁にそって素早く上手へ移動する。葉月結子は這い寄るように着席し、机に右足を載せる。

「俺はなにかを始めなければならないのだ!」(p.25)と、大が続けざまにユージョの台詞を語り始める。
赤井康弘(サイマル演劇団)構成・演出の『フェルディドゥルケ』には、“数多のテクストを引用した、キメラのような作品”と赤井自身が形容するように、北園克衛(1902-78)とロラン・バルト(1915-80)を筆頭に、十五以上のテクストと楽曲が引用されている。だからこそ俳優たちはいくつもの役を演じる、“つら”をその都度取り替える。そんな中で、ユージョ(=大)と、ピンコ(=赤松)だけが繰り返し登場し、かつ、舞台上で名前が呼ばれる(ユージョはピンコによって、ピンコはピンコ自身によって)。バルト(=坂本)も劇中二度登場するが、舞台上で名乗りを上げない、ただその“エクリチュール”によって、自らを仄めかすのみだ。

「不愉快な小役人のことを忘れること、」(p.25)のあたりで脇腹を押さえ、便器に座ったユージョは、決意を表明し終えた後もなお苦悶していて、他の四名が、

娘さん、どうするつもり? 
父なし子をこしらえて
(ビューヒナー『ヴォイツェク ダントンの死 レンツ』岩波文庫,pp.76-77。文献と台本とで翻訳が異なっており、当該引用は台本による。『ヴォイツェク』からの引用については、以下も同様)

と、“はすっぱに”歌っている間も、そこからなめらかに移行したピンコと校長(=葉月)のシーンでも、自身の入学の算段をする二人を眺めながら、ユージョは座ったまま、腹部に手を当てている。

“冷や汗”を垂らすユージョに“ハンカチ”を渡して介抱するのは瀬乃だが、彼女も坂本も、校長、ピンコ、ユージョが話す「校長室」(p.69)には本来ならばいないはずだ。このシーンに限らず、上演時間約六十五分の間、俳優五名は舞台に立ち続け、袖に“はける”ことはない。「おちり、おちり、おちり万歳ですな。」(同)と、両の十指を広げ、左右の親指を合わせて“おちり”ポーズをとる校長の声が反響していくように、上手奥の瀬乃と、下手前の坂本が“おちり”をこちらに向けている。

そして、ユージョが瀬乃からしがみつくように受け取り、額を拭っているのはハンカチではなく“国旗”だ。舞台中央のバトンからは放射状に紐が五本広がっており、正面奥の壁そして上手の壁にもゴム紐が渡されている。そこに、百枚近い旗が万国旗風に吊るされており、瀬乃は正面奥、ちょうど真ん中あたりから、赤と青で塗り分けられ、中央に白い小さな“窓”が開いている国旗を毟り取る。坂本も、上手の壁から一枚取ってユージョに渡すが、手書きの風合い色濃いそれらが、現実の国旗でないことはすぐに見て取れるだろう。俳優たちが、稽古の合間に描きためたものだ。
稽古の当初は、実際の国旗が使われていた。しかし諸事情によって変更を余儀なくされ、赤井と俳優五名は架空国旗の自作を選んだ。まずはデザインを持ち寄り、B5ほどに切り分けた薄布にマスキングテープを貼る、そして淡い色から塗っては乾かし、この工程を色の数だけ繰り返す(その後、梨地テープで旗自体を補強する)。国旗には、元ある国の理念・文化・歴史を象徴し、内外にそれらを示威する役割があるだろう、だとすれば架空の国旗を作ることは、まだ存在しない国の“つら”を、先に描いてしまうようなものかもしれない。そもそも、これらを国旗だと認識すること自体に、国旗・万国旗というフォーマットが刷り込まれている。

しかしそれらは、ようやく立ち上がったユージョによって便器へと流されてしまう。机の上にもすでに数枚、取り外された“国旗”が重ねられていて、国旗らしい扱いを受けない“国旗”は、もはや国旗ではない、六十五分の間に、ただの色のついた布へと還元されていく。
それは、「ただもう少しお静かに。このことをそんな大声でふれまわることはありませんからな。」(p.72)と舞台中央で顔を見合わせる校長とピンコの奥から現れた坂本の、

白い四角
という緑
の立体

黒い円筒
という

の平面
(『北園克衛詩集(現代詩文庫 1023)』思潮社,pp.86-87『ある種のバガテル』)

の、即物的な響きにも通ずるだろう。坂本は、「白い四角/という/緑の立体」…と朗誦していくが、これは、「白い四角という緑の立体」を文節で区切った時と近しい。北園の詩は全編にわたって引用されるが、次に登場した

青い円筒

黒い
風であった

白い三角


の雨であった
(『同』pp.87-88『白のゲシタルト』)

では、葉月によって「青い円筒/は/黒い/風であった」と表記に即した発話がなされた。北園による表記、そしてそれに準じた葉月の発話は、日常の文法、その支配からは明らかに逸脱したものだ。しかしそれは別の法則・理念に基づいているのであって、無軌道では決してない。
赤井は、稽古中何度か「舞台上では、完璧に自分の身体をコントロールしなければならない」と発言していた。だからこの舞台上で起こるあらゆることは、たとえばヴォイツェク(=瀬乃)と医者(=赤松)の一幕(『ヴォイツェク』,pp.85-88)で、医者が、「二グロッシェン!」(グロッシェンは貨幣単位。一兵卒のヴォイツェクは、“実験動物”として医者からも手当を貰っている)と言いながら“くしゃみ”をすることも含め、すべてコントロールされている。

くしゃみの研究のため窓を開けた医者は、立小便しているヴォイツェクを発見し、「わしが証明したじゃないか膀胱括約筋が随意筋だちゅうことは?」と詰るが、「恋する惑星『アナタ』に連れて行かれたみたいね」(冨岡愛『恋する惑星「アナタ」』,2024)から始まったこの舞台は、

「ぼくは君の死を嘆くまい。」(『第一の悲歌』)
「文化おばさんや村娘を愛することから手を引くこと」(p.25)
「娘さん、どうするつもり?父なし子をこしらえて」(『ヴォイツェク』)
「先生、よく注意して御覧ください、ひどいやぶにらみでしょう!」(p.70)
「どもりなうえに、涙腺の調整がまるできかなくなっているのですな。」(p.71)
「毒キノコが、先生。ほら、いっぱい生えてるんですよ」(『ヴォイツェク』)

といった具合に、“膀胱括約筋”の締め付けをかいくぐる、性・愛・死・幻覚・身体的特徴…に彩られている。そして、上演時間のおよそ四分の三が過ぎた頃には、

てめえのソックスを嗅ぎやがれ
おさらばするんだ
げっぷ、嘔吐、暴食、糞
うちら喜んでレズビアンになる!
(プッシー・ライオット『セクシストを殺れ』)

と、便器に腰かけた大が、マイクに向かって呪詛のように吐き出す。そのケーブルは便器の中から伸びており、床にはこれまで流されていた“国旗”が大量に溢れている、トイレが“詰まった”のだ。

「だまってトイレをつまらせろ」という言葉は、政治学者である栗原康の『はたらかないで、たらふく食べたい 増補版』(ちくま文庫,p.197)からの引用だが、栗原は、思想家・船本州治の議論に触れている。そこで挙げられている例が、“ケチな経営者によって、チリ紙の完備されていない水洗トイレ”で、①交渉、②暴動に次ぐ第三の選択肢として提示されているのが「新聞紙等の固い紙でトイレをつまらせる」ことだ、そしてこれがもっとも効果的で、階級を揺るがす手立てであると船本=栗原は述べる。手の中で丸め、狙いすまし、鞭のように叩きつけた“国旗”は、固いチリ紙として確実に便器を詰まらせていた。

ママは監獄に生きてる
監獄で、クソみたいに便器を掃除

と、大の噛み殺すようなその声はしかし、学習机の天板下から伸びるマイクに叫ぶ葉月の、

いづこより凍れる雷のラムララム だむだむララム ラウララムラム
(『岡井隆歌集(現代詩文庫 502』思潮社,p.20)

によって、そして「だむだむララム ラウララムラム!」と斉唱する赤松、坂本、瀬乃の声によってかき消されんばかりだ。私はここでエクトル・ベルリオーズ(1803-1869)の幻想交響曲第五楽章『サバトの夜の夢』(または『ワルプルギスの夜の夢』)を想起したが、立ち込める霧のようなヴァイオリンの刻みから、コントラバスの旋律がぬっと現れて始まる魔女の宴のように、畳みかけられる五・七・五・七・七の厳格なリズムも、“魔女”たちの“がなり声”によってひずんでいる(「擾乱は常群れとして映れども/ユーラシアふかくふかくうたがふ」の下の句が、“ユーラっシア~ふっかく~ふっかく~うったがう~”となったように)。宴は、これまでアップにしていた髪を振り乱しながら叫ぶ赤松の

ひるすぎの光によごれとぶ白のとばざる白にましてかなしき
(岡井隆『歌集 ウランと白鳥』短歌研究社,p.186)

を最後に終息する、それまで流れていた『セクシストを殺れ』も鳴りやむ。

便器の中から、机の中から伸びるマイクは、しかし初登場ではない。すでに二度にわたるバルト(=坂本)とリスタ(=瀬乃。ジャン・リスタは1943年生まれの編集者、作家。1971年にバルトと対談し、フランス・キュルチュールで放送された。『ロラン・バルト著作集8 断章としての身体 1971-1974』みすず書房,p91およびpp.215-236)の舌戦において使用されていた。便器から素早くマイクを取ったバルトはケーブルを華麗に捌きながら、“リスタ”に「だから、これはある選択、あるラディカルな選択にしたがっていて、それはわたし自身が言説の上告に身を置くということだ。」(『同』p.79。当該箇所は作家であり文芸ジャーナリストのジル・ラプージュによるインタビューだが、台本ではリスタに改変されている)と言って詰め寄る。

そして、「あなたのいう詩とは、おそらく書く快楽にほかならず、それこそが読む快楽を保証しているのだろう。そうした快楽に向かわねばならないことをわたしは確信しているが、知識人、教師あるいは責任あるエッセイストであるというただそれだけの条件によって、たえずそれから遠ざけられてもいる。」(『同』,p.84)という言葉を延長すれば、赤井は“編む快楽”を追求する“アンソロジスト(編纂者)”なのだろう。
そもそも「アンソロジー(anthology)」は古代ギリシャ語のanthologiaに由来するらしく、分解すれば「花 (anthos)」を「集める(logia)」だ。「詞華集」という訳語もある。

一方で、“花を集める”という語感がもたらすナイーブな印象は、赤井には似つかわしくない。これは想像でしかないが、引用した十五以上のテクスト・楽曲について、赤井が賛同していたり、感銘を受けていたり、好きだったりするわけではないだろう。台本を構成するパーツとしてふさわしい機能を有していたからという理由で選び、構築していたとするならば、その姿勢は、言葉の意味ではなく形態に着目し、視覚表現へと近接した北園克衛、および「白い少女」という一語を十四列×六行連ねた春山行夫のコンクリート・ポエトリーなどに通ずる。

逆に言えば、引用された言葉、その周りにこそ、何か真に迫るものがあるかもしれない。

「つまり間テクスト性だ。あなたの作品にはまとまった一連の引用が出てくる。たんなる読者としてのわたしは、ジュール・ヴェルヌや古典的な作家たちが何度も通り過ぎるのを目にする…言葉の古典的な意味でもっとも偉大な『詩的』伝統のすべてを、しかも味わい深いやりかたで受け継ぐいくつもの節、文言、詩句がある。ここでもおそらく、そうしたことは揶揄の精神においてなされているのだろう。」(『同』,p.229)

これはバルトが、リスタの『湾への侵入』について語った言葉だが、おそらく観客が舞台『フェルディドゥルケ』に対して抱く印象と近いのではないだろうか。ここを赤井は引用しなかったが、典拠を当たれば、引用部分との間に埋もれている。

雅楽においては「残楽三返」という奏法があり、文字通り三回繰り返すその一返目は全員による演奏、そこから二返、三返と奏者を減らし、三返目の最後には筝だけが残る。
赤井が近年取り組んでいる、“数多のテクストを引用した、キメラのような作品”とは、残楽三返の二返目、三返目のようなものかもしれない、引用文献はいわば一返目であり、五十年、あるいは百年前から鳴り続けている。だから観客は、望めばその“音”を聴きに行くことができる。赤井が引用を多用する理由は、台本を閉じたものではなく、多孔質な、開かれたものにするためなのかもしれない。

そう考えると、俳優の動きは対照的だ。稽古場の赤井は、演技に対する示唆こそすれ、指示は本当にしない。ト書きすらないから、俳優たちは自身の解釈・創意によって動くことが求められ、必然的に様々な発想が試みられては、演出家によって、或いは俳優当人によって棄却されていった。本番で繰り広げられるのは、そうして厳しく精査された、コントロールされた身体の流れで、そこから稽古における試行錯誤を想像することは難しいだろう。
しかし、例えば、坂本はある稽古の時、吊るされた万国旗(その時はまだ“本物”だった)に手を伸ばすと、ウインドチャイムを鳴らすように端から端まで撫でた。その所作は二回ほどで消えてしまったが、たしかにひととき存在して、観客には、引用されていない引用を、演じられていない演技を見ることまで求められていた。
「テクストの快楽を得るには時間がかかり、ときには大きな苦労もともなう。」(『ロラン・バルト著作集8 断章としての身体 1971-1974』,p.84)とあるように、しかしそこには“観る快楽”があった。

「たちまちからみ合いの渦が老教師をのみこんでしまった」(p.325)
「おばさんは早くもごったがえす渦のなかにのみこまれていた!」(p.468)

ここで出てくる「からみ合いの渦」「ごったがえす渦」はどちらも人の塊で、文字通り、肉団子みたいにくんずほぐれつ取っ組み合っているシーンだ。
舞台上でも、便器のそばに倒れこんだ葉月、その“おちり”に取りつくように赤松が横たわる。同じく、舞台中央の学習椅子に座っていた瀬乃も、台詞を言い終えると倒れる、左手の指先が、座面の端に掛かっている。便器のそばで痙攣していた坂本は、上手の壁にぶつかると、“国旗”であふれんばかりの便器を覆い隠すように、“からみ合いの渦”へと合流する。

チリ紙のないトイレにおいて、新聞紙がただの(固い)紙へと還元されるように、“国旗”はただのカラフルな布と化した。登場人物=俳優たちも、“つら”の剥がれた、ただのふくらはぎ、ただのおしり、ただの身体となった。

「そして、現実は少しずつ夢の世界に変わっていった。今はおれに夢を見させてくれ、夢を!」(p.91)と言い捨てて、ユージョはひとり立ち去る。“つら”も“おちり”もつけたまま。

観客も“おちり”を上げて、席を立たなければならない。
舞台を夢だとすれば、目覚めた観客には、明恵上人が『夢記』として生涯夢を記録し続けたように、記す、語る、考える…という“責務”が課せられる。しかし、「知識人、教師あるいは責任あるエッセイスト」(『ロラン・バルト著作集8 断章としての身体 1971-1974』,p.84)ではない、青い“おちり”を持った私たちにとって、それらは責務というよりむしろ快楽だろう。

「反対に、自分の未熟を知っているからこそ筆をとる―自分が形式を持たないことを、山をのぼってはいるが、頂はまだきわめていないことを、仕事をしてはいるがしとげてはいないことを心得ているからこそ、ものを書くのだ」(p.147)

 

 

​新野守広(ドイツ演劇研究)

 

心地よい散乱と集中を体験した。
狭い会場の天井には模造万国旗が張りめぐらされ、床には机と便器が置かれている。そこに、それぞれ個性的な衣装を着た5人のパフォーマーが現れる(赤松由美、葉月結子、大美穂、坂本麻里絵、瀬乃乙女)。中央や右手の便器の近傍、左手の机の近傍などでは、そのときどきでペアになったパフォーマーが感情を込めて対話を行い、集中度が高まる。対話に参加しないパフォーマーは、おもいおもいの姿勢を保ってゆっくり歩いたり、壁際に佇んだりしている。客席で体験する散乱と集中は、寄せては引く波のようだった。
5人全員が歌を歌いながら行進したり、他のパフォーマーの背中をつかんで列を作ったりして、集団的な動きが生まれることもあるが、基本的に各自の動きは自律している。メトロノームの音やサックス、チェロの録音演奏がスピーカーから流れるなか、極度に集中が高まるやいなや、パフォーマーたちは床に横になって眠ったように静かになり、終演となった。ほぼ1時間の充実。
公演タイトルの『フェルディデゥルケ』は、ポーランドの作家ゴンブローヴィッチが1937年に公刊した長編小説の題名であるが、この公演では、小説の前半のごく一部の対話だけが使われたにすぎなかった。しかも、『フェルディデゥルケ』以外にも、さまざまな言葉をパフォーマーは語り出す。その出典元は、当日配布物によれば、『第一の悲歌』(フランシス・ジャム)、『ヴォイツェク』(ゲオルク・ビュヒナー)、『断章としての身体』(ロラン・バルト)、……など、かなりの数になる。とはいえ、開演前に配布物を熟読してこのリストを発見し、そこに記載された作家と作品を頭に入れた上で、準備万端、開演を待つのは容易ではない。むしろ多くの観客は、自分が知っている作家や作品の名前を見つけて少し安心しつつ、不安と期待の入り混じった気持ちで開演を待ったのではないだろうか。
 つまり、この舞台がどのように体験されるかは、観客一人ひとりに応じて異なるのだ。既知の言葉やテキストが聞こえてきたり、この言葉はきっと××の詩に違いないと想像する瞬間があったり、未知の言葉でもパフォーマーの所作と一体となってすっと心に入る瞬間があったりすると、目の前で繰り広げられているパフォーマンスはにわかに集中度を増す。一方、聞こえてくる言葉とパフォーマンスの関係がしっくりこないまま手探りの状態が続くこともあるが、そうしたときでも視る者の意識は宙刷りになったまま、再び集中が高まるきっかけを待ち続け、緊張が途切れることはない。
 舞台で使われた言葉は、それぞれ特定の時代と地域に由来していた。言葉の背後には、その言葉が生み出された時代背景や歴史経験が存在している。たとえばシラーの手紙に言及するゲーテの言葉が語りだされる場面があったが、ここではヴァイマル公国の宰相を務めた国民的文学者ゲーテの歴史経験を感じ取ることも可能だ。一方、ビュヒナーの『ヴォイツェク』は、貴族や高位の宗教者、富裕層以外の名もなき生活者が初めて主人公となった戯曲である。ゲーテとは真逆の社会階層の経験が、エンドウ豆を食べるヴォイツェクの言葉に反映している。テキストの題名と内容の関係を対話を通じて考察するロラン・バルトは、テキストの脱構築という考え方に結実する第二次世界大戦の歴史経験を背負っている。そのバルトが脱構築を提唱する際に依拠したのは、異化効果を提唱した戦間期のブレヒトのナチスに対する経験だった。こうしてゲーテ、ビュヒナー、ブレヒト、バルトの言葉は時を超えて反射しあう。さらに他の言葉同士も、その出自となる歴史経験において、なんらかのつながりがあることを感得することは可能だ。劇中、赤松由美が紅テントゆかりのジョン・シルバーの歌を唄う場面もあったが、1970年代の歴史経験を召喚する彼女の歌は、先ごろ亡くなった唐十郎をしのばせた。こうした舞台全体を包括するのは、構成・演出を担当した赤井康弘の歴史経験であることは言うまでもない。
長らく歴史から消し去られていたポーランドは、第一次世界大戦後、国民国家として再び歴史の舞台に立つことができた。当然、愛国主義的風潮は強まったが、ゴンブローヴィッチの『フェルディデゥルケ』はグロテスクな風刺と破天荒な描写で当時のポーランド愛国主義を笑っている。サイマル演劇団+コニエレニの舞台はゴンブローヴィッチの破天荒にならい、さまざまな時代と地域に起因する多様なテキストを使って歴史経験のいわば乱反射を作り出した。この散乱と集中の場が新たな歴史経験を開く萌芽となることを祈りたい。

 

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